お問い合わせ先

電話・FAX

097-582-1824

 

メール

chikurinbatake@yahoo.co.jp

素材としての古道具とmac

春分を迎え、全速力モードになりました。

先週は天気がいまいちで作業が進まず、週末に一気にジャガイモ植え付け、スナックエンドウ定植を済ませ、次は直播き野菜の準備です。今日は人参の種まきまで済ませてきました。

水道水で500L貯めるのに30分。散水は15分そこら。1tの水撒きだけで2時間弱かかってしまいます。

 

そんな忙しい中書いた記事が、ネットの不具合か何かわかんないけど、消えた・・・

 

今度は横着せずにテキストエディタで再チャレンジします。

 

 

この冬は家と作業場の引越しで色々な物をぶっ壊し、作って過ごしていました。

そんな中で、いろいろな昔のモノに触れる、そして作り変える機会が与えられたわけですが、モノを素材として見るクセがつきました。それをバラして使える部分があるかどうか、そういう視点で物色するわけです。

 

建物や家具、ちょっとした棚とか台などに使われてた木から釘を抜き、使える部分を切り取って再利用。

そんな廃材の質がすごく良いんです。ただの杉の木材なんだけど、虫食いさえなければ充分使える強度でよく詰まった木です。海外産のツーバイ材とかまったくの別物だと思います。

 

ちょうど実家の片付けもやっていて昔使ってた作業台とか棚なんかを持ってきてもらったのだけど、それもすごく丈夫でいい!

なんに使ってたかわからない台はそのまま縁台にしました。この厚さ、2人で座ってもまったくたわまない丈夫さです。作業台だったぽい合板もぶ厚く、そのまま足をつけて作業台になりました。実家のはバブルの頃のモノだけど、何も惜しむことなく作っちゃったのが伝わってきます。そしてどれもとにかく重い。

 

 

 

ほんの一昔前のことのはずなんだけど、モノに対する哲学は全く違ってたんだろうなと感じます。

 

モノの未来に対する想像力の違いだと思いました。

 

それが使われ続けることへの想像力。それが役割を終えた時に次にどう引き継がれていくのかという想像力。デザインとか使いやすさとかの問題でもないし、ましてやエコなんて概念もなかった時代。だけど、そんなモノの未来についての想像力は持っていた。

そんなモノに対する価値や美しさの尺度を持ちたいなと感じました。

 

ところで、いまこれを書いているmacのノート。4年ほど使って、キーボードとか電源コードとかハード面でガタがきています。

正規の修理の見積もり金額は、要するに「新しいの買ってね」っていうメッセージ。ユーザーはユーザーであることに徹しろと。DOS/Vバラしてた頃が懐かしい。

ミニマリストの哲学もたいしたことねーんだな。